レコード芸術誌の連載「レコード誕生物語――その時,名盤が生まれた」でメンゲルベルクのベートーヴェン交響曲全集が取り上げられました。
レコード芸術2021年4月号の62ページから66ページまでの5ページにわたり、フィリップスで発売されたベートーヴェン交響曲全集を中心に、戦後の演奏活動禁止の経緯などについて記載がなされています。
紙面で紹介されているのは、タワーレコードのCDボックス「ベートーヴェン: 交響曲全集, 歌劇「フィデリオ」序曲<タワーレコード限定>」でした。
ベートーヴェン: 交響曲全集, 歌劇「フィデリオ」序曲<タワーレコード限定>
見出しだけ抽出してみると以下のような内容です。
メンゲルベルク指揮アムステルダム・コンセルトヘボウ管によるベートーヴェン/交響曲全集
- ベートーヴェンの曾孫弟子にあたることに誇りをもっていた
- 《英雄》が欠けているフィリップスのライブ録音による全集
- 第二次世界大戦中の”政治的無知”な言動
- 没後10年を経ての復活と没後70年を経ての再評価の期待
冒頭部分に「今年生誕150年、没後70年を迎えたオランダの大指揮者ウィレム・メンゲルベルクの」というくだりがあります。
あぁ、そうだったかと、気が付きました。
不明を恥じ入るばかりです。
いくつか気になる記載が
記事を読むとレコード芸術とは思えない、首をかしげざるを得ないところがあります。
その最たるところは
チャイコフスキーも独ソ開戦後は演奏が許されなくなった
レコード芸術2021年4月号65ページ
です。(ちなみに独ソ開戦は1941年6月22日です)
音楽の仕事とは無関係の、ただの愛聴家の私でも1944年2月17日にパリでチャイコフスキー交響曲第5番、1944年1月20日に第6番「悲愴」をコンサートにかけてラジオ中継されていたことがすぐに頭に浮かびます。
なにせ、悲愴の方はラジオ中継された際の放送録音テープが発見され、番組アナウンス付きの状態でCD化されて話題となりましたので。

この記事では、メンゲルベルクの最後の演奏会が1944年6月22日に同じくパリでラジオ中継されたベートーヴェンの「第9」だと記載されています。
それなら当然、メンゲルベルクがナチスの警告をはねのけてチャイコフスキーを演奏会にかけていたことは御存じハズなんですが。
残念なことに、こういう誤解は今後も幾度となく繰り返されるのだろうと思います。
蛇足ながら
このレコード芸術誌の記事では、メンゲンルベルクの数奇な運命について、「政治的無知な言動」が原因としています。
しかし、海外での資料などでは違っています。
戦前メンゲルベルクの人気が高まり、最も人気のあるオランダ人としての定位置をオランダ王女から奪うことになってしまったという大変センシティブな出来事がありました。
メンゲルベルク人気は、オランダ王女その人と、オランダ王室、そして王室寄りのメディアにとって許容し難い屈辱だったようです。
オランダ王女は大戦中イギリスにへ避難し、戦後オランダに戻りましたが、それとは対照的に大戦中オランダに残り活動継続していたメンゲルベルクは格好の攻撃対象になったわけです。
さらに蛇足
メンゲルベルクのベートーヴェン交響曲全集は、フィリップス盤の再販が何種類も出ています。
フルトヴェングラーのCDのように、再販の度に最新リマスタリングとかの文字が踊ります。
実は、この1940年のベートーヴェン交響曲に、別録音を交えたCDセットがおススメです。

このメモリーズ盤ですが、音の生々しさ、迫力、ケタ違いです。
あまり音源の編集がされていないようで会場ノイズは大きめですが、その分ライブ特有の雰囲気がたまりません。
amazon、HMV、Tower Recordなどのネットショップでは、現在廃盤で入手できないようです。
中古であれば流通があるようです。