私見 メンゲルベルクの録音



メンゲルベルクの演奏や録音について読んだり聞いたりする論調の中で、どうしても気になる点が2点あります。

1点目は、メンゲルベルクの演奏は様式化されていて、どの録音を聞いても大体同じだと決めつけられていること。

2点目は、メンゲルベルクの演奏が大時代的だと型にはめられること。(大時代的って…何のこと?)

そういう話が出てくると

そんなこと言わないで、別の録音も聴いてみたら?

諦めているわけではありませんが、かといって議論するつもりもなく、そう言うことにしています。

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地方の田舎で育った私は、恥ずかしながら新婚旅行が初めての海外でした。

そんな私に先輩方がいろいろなアドバイスをしてくれました。

パリでは、タクシーは決められているタクシー乗り場でないと乗れない。
手を挙げてタクシーを拾えるのは日本ぐらいだ。

欧米では日本人がお茶を飲むのと同じようにいつもコーヒーを飲むから日本のコーヒーと違ってとても薄い。
苦いコーヒーなんて飲んでたら体壊すだろうから無理もない。

ところが、パリのカフェで飲んだコーヒーの苦かったこと。

私がタクシー乗り場を探す横で、他の旅行者が手を挙げてタクシーを拾っていたこと。

「あぁ、やっぱり自分の目で見ないといけないのだな」と、思いました。


個人的なつまらない話をしてしまったのも、メンゲルベルクについても同じ過ちを犯していたからなのです。

私も多くの皆さんと同じように、フルトヴェングラーのベートーヴェンの交響曲を聴き、本当に驚いて、のめり込むようにクラシック音楽を聴くようになりました。

そしてメンゲルベルクを知りました。

いろいろな書籍とか読んでいるうちに、以下のような思い込みが知らず知らずのうちに脳裏に刷り込まれていました。

メンゲルベルクの演奏は完全に様式化されているので、どの録音を聞いても同じだ。

スタジオ録音でもライブ録音でも、判を押したように同じ解釈で同じ演奏だ。

私は小遣いや貯金をたたいてフィリップスのベートーヴェン交響曲全集を買いましたが、お金もないこともありメンゲルベルクの他の演奏を聴く余裕はありませんでした。

ただ、このベートーヴェンチクルスの交響曲全集。後で知ったことですが、第3番だけが別撮りのスタジオ録音だったのです。

当時の自分は、第3番だけどうして不完全燃焼みたいな演奏なのだろうかと、気にはなりつつも「メンゲルベルクにエロイカは相性が悪かったのか」程度にしか考えることができなかったのです。

人間というものは、情報を与えられない、あるいは一方的な情報しか知らないと、判断力も何もないですね。

その後もメンゲルベルクの新しいCDが発売されても、「どうせ同じだろう」と見向きもしなかったのです。

そんな折に、何気なく読んでいたレコード芸術誌でメンゲルベルクのベートーヴェンの交響曲全集に含まれるはずだった第3番の記事を読みました。

1940年のベートーヴェンチクルスでは、第3番の第1楽章は何らかの理由で失われていますが、他の楽章は録音が存在しているというのです。(レコード芸術誌のようなメディアの存在は本当に貴重ですね)

以前から違和感を感じていたこともあり、聴いてみたいなぁという思いが高まっていた時です。

たまたま出先で立ち寄ったレコード店で見つけて購入したのがメンゲルベルクの10枚組のBOXでした。

そして、そこに収録されていた1930年代のベートーヴェンの第6番と第7番の演奏に度肝を抜かれたのです。

その凄絶なまでの演奏は、当時の私にとって、まさに衝撃でした。

あぁ、どうして今までこんなにかけがえのない演奏が残っていたことに気が付かなかったのだろう!いや、気づこうとしなかったのだろう!自分は馬鹿だ!大馬鹿者だ!

その日から、私のメンゲルベルクの録音をたどる旅が始まりました。

そして旅の途中で知った事実は、まさに驚きの連続でした。

1938年のベートーヴェンの第9交響曲には5月31日と6月1日とされる2種類の録音が混在していました。2日続きの演奏だったはずですが、聴きごたえは夫々かなり違っていました。

メンゲルベルクといえば名刺代わりになっている悲愴は、4つの楽章が揃っている録音が1937年と1941年と1944年の3種類あります。その夫々が、これほど違う演奏になってるということは、他のどの指揮者をみても例が無いと言えます。(録音技術者からの要請があったにせよ)

ぜひこちらをご覧ください:メンゲルベルクのチャイコフスキーの交響曲 第6番「悲愴」の各録音を分析

どこが判を押したように同じなのか?そういうことを言っている人に対するというよりも、勝手にそう思い込んでしまっていた自分に悔いが残ります。

それにしても1944年の1月にナチスに抗議されながらも、チャイコフスキーの交響曲をパリの演奏会に取り上げていたメンゲルベルク。6月にはノルマンディーに連合国の上陸があり、8月にはパリが解放されています。そんなメンゲルベルクがナチス協力の罪で演奏活動が禁止されたというのも何という悲劇でしょうか。


最後までお読みいただき、どうも有難うございました。