メンゲルベルクのチャイコフスキー 交響曲 第6番「悲愴」の各録音を分析



このページは、メンゲルベルクのチャイコフスキーの交響曲 第6番「悲愴」の各録音について分析した結果をまとめています。

分析対象は以下となります。

1923年4月19日 第2楽章のみ ニューヨークフィル
1923年4月23日 第4楽章のみ ニューヨークフィル
1937年12月21日 アムステルダムコンセルトヘボウ管
1941年4月22日 アムステルダムコンセルトヘボウ管
1944年1月20日 パリ放送管弦楽団

分析詳細項目は以下となります。

VN-01842 : 1923年4月19日 第2楽章 ニューヨークフィル
VN-01842 : 1923年4月23日 第4楽章 ニューヨークフィル
WQCC-351 : 1937年12月21日 アムステルダムコンセルトヘボウ管 : 旧(第2次大戦前のSP)
CD809 : 1937年12月21日 アムステルダムコンセルトヘボウ管 : 新(大戦後の復刻)
WQCC-351 : 1941年4月22日 アムステルダムコンセルトヘボウ管 : 旧(第2次大戦前のSP)
OPK-7021 : 1941年4月22日 アムステルダムコンセルトヘボウ管 : 新(大戦後の復刻)
CDRG 189-2 : 1944年1月20日 パリ放送管弦楽団

波形

第1楽章

1937年12月21日(旧):戦前のSP盤からCD化したもの。

1937年12月21日(新):戦後新たに編集された音源でCD化したもの。

1941年4月22日(旧):戦前のSP盤からCD化したもの。

1941年4月22日(新):戦後、戦前のSP盤からマスターを作成し再販したもの。
opk-7021-tchaikovsky-symphony-no-6-in-b-minor-op-74-pathetique-i-adagio-allegro-non-troppo

1944年1月20日:放送用録音のテープからCD化したもの。


第2楽章

1923年4月19日
vn-018421923-04-19nyp-tchaikovsky-symphony-no-6-in-b-minor-op-74-pathetique-ii-allegro-con-grazia

1937年12月21日(旧)

1937年12月21日(新)

1941年4月22日(旧)

1941年4月22日(新)
opk-7021-tchaikovsky-symphony-no-6-in-b-minor-op-74-pathetique-ii-allegro-con-grazia

1944年1月20日


第3楽章

1937年12月21日(旧)

1937年12月21日(新)

1941年4月22日(旧)

1941年4月22日(新)
opk-7021-tchaikovsky-symphony-no-6-in-b-minor-op-74-pathetique-iii-allegro-molto-vivace

1944年1月20日


第4楽章

1923年4月19日
vn-018421923-04-23nyp-tchaikovsky-symphony-no-6-in-b-minor-op-74-pathetique-iv-finale-adagio-lamentoso

1937年12月21日(旧)

1937年12月21日(新)

1941年4月22日(旧)

1941年4月22日(新)
opk-7021-tchaikovsky-symphony-no-6-in-b-minor-op-74-pathetique-iv-finale-adagio-lamentoso

1944年1月20日


分析結果

とにかく最初に触れなければならないのが第4楽章の演奏時間の驚くべき違いです。

もともと、1941年に再収録した理由に、1937年の収録時に第4楽章を早めに演奏するように指示されて、その件をメンゲルベルクがずっと不満に持っていたからだというエピソードがあります。

悲愴の第4楽章の終わりは最弱音で消え入るように終わるために、映像で指揮棒を見ていない限り、音だけでは公平な演奏時間比較ができません。それでもおおよその時間で比較してみますと、

最初の1923年のニューヨークフィルとのセッション録音は4分半程度の快速演奏ですが、カットだらけの演奏になっています。録音技師からの要求でところどころにカットを入れた演奏をしたのか、録音後にカット編集をしたのかは不明です。

1937年では8分強、1941年で9分15秒くらいです。

しかし、メンゲルベルク最後の悲愴の演奏となった1944年の実演時の演奏時間は何と12分弱もあります。

おそらくメンゲルベルクが考えていた本来の悲愴の終楽章とは、かなり時間をかけたものであったことが推定されます。

第1楽章も、終楽章ほどではありませんが、1944年の演奏では他の録音と比べ演奏時間が長くとられています。

反面、第2楽章、第3楽章は、各年代の録音とも大きな差は認められません。

この演奏時間だけを取り上げるのであれば、メンゲルベルクが本当に演奏したかった悲愴を聴くには、1944年のライブ盤を聴かねばならないといえます。

この推測が的を得ているのかどうかわかるのは、コンセルトヘボウとのライブ録音が発掘されるのを待つことになります。

・・・・解析は続きます(継続中)

現時点では波形を掲載したところまで。

演奏時間は、CD記載や波形からは判定できないため、スコア片手にストップウォッチで測定してみたいと思います。